小説と幻想

シロウト小説書き有沢ケイの小説

砂に消える街

 アレンとフレイが旅路で行き会った街は、砂に埋もれていた。異世界FT短編。




 気がついたら道がなくなっていた。どこかで間違ってしまったらしい。フレイがすみません、と言った。理由を訊ねると、道を見失いましたと言う。
「それは分かってるよ。僕はどうしてあなたが謝るのか聞いてるんだ。ふたりで並んで歩いてきたんだから、謝るいわれなんてないでしょ」
「申し訳ありません」
 相変わらず申し訳なさそうに謝るかれに苛立って、「だから!」と声を荒げたところで僕は咳き込んだ。突風が運んできた砂を思いっきり吸い込んでしまったんだ。はずみで風に顔を向けたら、目にまで砂が入った。フレイが自分も咳き込みながら大丈夫ですかと声をかけてきたけど、対応してやる余裕なんかない。
 まったく、なんて風なんだ。視界が砂で白く染まる。もしかして僕らはまちがって南へ来てるんじゃないかと疑いたくなるくらい、あっちもこっちも砂だらけだ。
 もっとも、ついさっきまで草の生い茂る丘を歩いていたんだから、ここが砂漠であるわけがないんだけど。シャツの中どころか、軽い半長靴の中までさらさらした砂が入り込んでいる。ざらざらして気持ち悪い。僕は砂まみれになるのは嫌いなんだ。こんな北に来てまで砂まみれになるとは思いもよらなかった。帝都じゃあるまいし、何でこんな目に遭うんだ。
 僕が前髪をかきあげれば、手に白い砂が残る。顔をしかめて歯軋りをすれば、口の中がじゃりじゃりいう。
 この白い砂は、そういえばフェレーラのすぐ南にある海岸の砂によく似ている。日にかざすとキラキラして、靴を踏み入れるときゅっと鳴るあの砂に。そう考えると、この突風にも潮の香りがあるように思えてきた。
 だからって、何か解決になったわけじゃないけど。砂漠の砂だと思うよりはずっといいような気がする。
 
「殿下」
 フレイが相変わらずの無神経でそう呼びかけてきた。僕は、かれの名を叱責の意味をこめて、つよい調子で呼んだ。はっとして、フレイは言い直した。でも、態度はかえって鄭重になってしまった。文句を言うのはやめた。慣れないうちは仕方のないことかもしれない。
「アレン様、あちらを」
「……天幕、かな?」
「の、ようですね」
 かれの示す先、砂丘にしか見えないそこには、少々不恰好な円形の天幕があった。隠れていてよく見えないけど、申し訳程度に茂みらしきものが見える。僕たちは、とりあえずそこに向かうことにした。人がいれば正しい道を教えてもらえるかもしれない。
 
 
 
 
 天幕の中は、期待に反して無人だった。しかし、少なくとも最近まで人がいたような感じがする。食器や穀物の入っていると思しき麻袋、やや乱れた寝具らしきもの、香炉や水入れ、使い込んだ篭といったものが適当に整理されてある。その整理の仕方は、まさにまた使うからと簡単に片付けただけのように見えた。
 僕たちは、小さな天幕のなかを見渡して、いないのが分かっている住人に呼びかけてみた。返事のあるはずはない。顔を見合わせて、どうしようかと相談しかけたところに、また背中から砂が襲ってきた。白い砂が天幕のなかに入り込んでしまう。あわてて入り口を閉じてフレイと僕は風に耐えた。
「どうしますか」
 フレイが僕に伺いをたてた。天幕の中でまっていれば、ここのあるじが帰ってくるかもしれない。なかで待ちますか、というのだろう。僕は首をふって、もうすこし歩いてみようと言った。
「待っていても、ここのあるじがいつ帰ってくるか分からない。もしかしたら近くにいるのかもしれないし、それに、この向こうがどうなっているか見てみるのも悪くないんじゃないか」
「そうですね」
「ねぇフレイ。僕は、こんなところが国内に、しかもこんなに近くにあるなんて聞いたことがないんだ。しかも地図は一本道だった」
「……えぇ。寂れてはいますが、確かに舗装された街道のひとつだったはずです。帝国内の治安がみだれているせいで、多少街道の整備はおろそかになっているにしても、あったはずの道が消えるわけがないんです」
「そうなんだ。間違うはずがない。……じゃあここはどこなんだろう?」
 
 
 
 
 僕たちは、とりあえずひととおり天幕の外をめぐって歩き、ようすを調べた。天幕は、風にまけないようにしっかりと据えてあったが、その気になりさえすれば撤去するのはそう難しくなさそうだ。しかし、すこし砂のなかに埋まっており、最近移動してきたようには見えない。天幕のすぐわきには木製の荷車が放り出してあったが、それも砂を被っており、中には手で掬えるくらい積もっていた。天幕にしても、遠くから見たときに不恰好に見えたのは、風のあたる方が凹んで砂がつもっているせいのようだ。そう、このつよい風はつねに一定の方向から吹いてくる。不思議なことに。
 僕たちが茂みだと思っていたものは、よく見るとひとつの植物の一部だった。その大きな緑の葉には見覚えがある。
「これ……椰子じゃないかな」
「まさか。何でこんな低いところに」
「でもこの奥にあるの、実じゃないかな、椰子の」
「……ですね」
 そう思ってよく見ると、その植物はまったく椰子の木にしか見えなかった。足元にほど近いところに葉と実があり、あの長い幹が見当たらないのをのぞけば。――でも、たとえばその長い幹がすべて砂の中に埋もれているなら、レンガで舗装された、なくなるはずのない街道が消えた理由も説明がつく。
 僕らは顔を見合わせた。どうやらフレイも同じことを考えたらしい。
「……まさか。消えたっていうんですか? 街道が、この下に」
「でも、そう考える以外にどんな理由があるんだい。魔法使いがあらわれて、杖をひと振りして消したとでも?」
 フレイはすこしの沈黙のあと、椰子の葉(らしきもの)を指して言った。
「……掘ってみますか?」
「冗談でしょ。へたに掘ったらここに上がれないよ」
 何といっても下は砂地だ。掘るのは楽かもしれないけど、あんまり掘ったら足元がくずれて戻れなくなるだろう。まるでアリ地獄だ。
 僕らはどちらともなく風の吹く方に視線をやった。もっとも、襲ってきた砂にすぐに顔を背ける羽目になったけれども。相変わらず強い風が断続的に細かい砂を叩きつけてきているのだ。
「やっぱり風なんじゃないかな、もしかして。ねえフレイ、この辺りはこんなにいつも風が強かったのかな」
「少なくとも私たちが向かっている方向には、話題になるほど風の強い地方はなかったはずですが」
 僕は無言でフレイを促して風の吹いてくる方向へ歩き出した。砂のせいでよく分からなかったけど、その風には潮の香がしっかり混ざっている。地図からすれば、ここは海辺の街のはずだった。街が砂に埋まったのだとすれば、砂の向こうには海があるはずだ。それを確かめたかった。
 そうすれば、僕らの歩いてきた道が正しいことだと分かる。この風が異常だということも。
(おかしな感じがするんだ。何かが狂っている、とでもいうような)
 神官になった友人の言葉を急に思い出した。あいつだけじゃない、たしかにメデイさまも奇妙なことを言っていた。
(わたしはただ、時が来ないうちに世界が終わらぬことを祈るだけです) 
 たしかに預言者の言葉だったのに、気に留めてもいなかったことが今となっては不思議だ。あの言葉には、きっと何かふかい意味がある。今僕が気付いた所で、なにも出来はしないけれども。 
 
 
 
 
 砂丘は唐突に終わっていた。その向こうには、たしかに海が見える。白い砂嵐に烟《けぶ》る海が。この砂は、海の向こうからやってきているのか。
 眼下を見下ろすと、すぐ目の前に白っぽい煉瓦の屋根が覗いていた。白い砂は急な坂道を作って、もとは船着場だったであろう街の一部をあらわにしている。
「人がいる……」
 フレイの声に視線の先を追うと、果たしてそこに人影があった。木箱を積み上げた壁の影になって見にくいけれども、たしかに白っぽい服を着た人間が座りこんでいる。声を張り上げて呼ぶと、相手は身振りですぐ近くの建物を示した。よく見ると、その壁に縄梯子が下がっている。それで降りて来いということなのだろう。確かにここよりは、相手のいる場所の方が風がしのげる分だけ話がしやすい。
 フレイは自分だけが行くと主張したが、僕はそれを許さなかった。力の弱い人間がひとりだけ砂丘の上にいたって、何の役にも立たないはずだ。僕の力ではフレイを引っ張りあげることなど出来そうにない。
 フレイは納得のいかない顔をしていたが、僕が先に立っていこうとすると諦めたらしい。僕を制して自分が先に縄梯子に取り付いた。
 
 
 
 
 
「余所者か。見てのとおり、船はもう出とらん」
 そこにいたのは、白い髭を長く伸ばした老人だった。日に焼けた顔に落ち窪んだ目と鷲鼻が目立つその顔立ちは、フェレーラでも少なくない見慣れたものだ。こんな所に独り座り込んでいるよりは、仕事を引退して、庇の下に座り込んで水煙管を楽しむのが日課というほうが余程似合う。
 でも、実際にかれが手にしているのは、もちろん水煙管などではなかった。シャベルだ。それも骨ばった腕には不似合いなほど大きなものだ。まさか、この砂をひとりで取り除こうとでも言うのだろうか。
 フレイが丁寧な口調で街道のことを尋ねると、危惧したとおり、僕らが通ろうと思っていた街道は砂の下に埋まってしまっているという。
「私どもは、フェレーラから街道沿いにロンデニアへ抜ける予定でした。やや人通りは減っているものの、途中で道がなくなっているものとは思いもしませんでした。特段噂にもなっていなかったものですから」
「噂にもなるまいな。帝国の役人は来なくなって一年は経つだろうが、ここが砂に埋まってまだ、そんなには経っておらん」
 フレイの問いに答えると、老人は口をゆがめて言った。「三月だ」
「え?」
「三月で何もかもが無うなってしまいおった。家も、街も、何もかもだ」
 僕とフレイは顔を見合わせた。信じられない。三月で街が全部砂に埋まった、だって?
「そんなに急に?」
 僕が聞き返すと、わしも信じられんよ、という呟きがかえった。それはそうだろう。そんな急に街ひとつなくなるだなんて。
「それで、街の方はどちらに?」
「よその街に逃げて行きおった。初めは、街中で砂を除けよったんだがな。人の手ではどうにもならんとなると、順番にな」
「では、ここに残ってみえるのは、あなた一人ですか」
「いや…、まだおる。この中にな」
 老人が指差したのは、すっかり砂に埋まった街の中だった。
 
 
 
 
 
「そうさな、あれはもう……3旬前にもなるか」
 老人の話によると、その時までは街は半分ほどしか埋まっておらず、山に近い場所でも――街は山側から埋まり始めていた――高い建物を使えば何とか生活が出来ていたのだという。
「わしは、隣町まで5日かけて、うちのやつの薬を貰いに行ってきたところだった。体が動かんようになってな、痛み止めを医者に出してもらっておったんだが、この街の医者は騒ぎで逃げてしもうてな。まったく、何が『緑の家』か。――まあ、そういうわけでな。しばらく町を出て戻ると、あるはずの場所に街がなかった。椰子の木の頭だけがにょっきり生えとってな」
 その椰子の木の頭というのが、たぶん僕らが見た天幕脇の茂みだ。自分の住んでいたはずの町がそんな姿になっていたんだ、どんなにか衝撃だったことだろう。想像するだけでもぞっとする。
「まだ、その時は街のものが少しおってな、呆けたような顔で砂丘にすわっておった。そやつらの言うには、砂津波が来たと」
「砂津波……」
「津波のように砂が襲ってきて、街を呑んでしもうたと。逃げ遅れたもんも随分おったようだ。逃げられたのは、たまたま山のすぐ近くにおったもんだけ」
 ろくに動けん婆さんなど、家から出ることも出来んかったろう。老人はそう言って、砂に埋まった街を見上げた。
「あなたは、それでは奥さんを助けようと……?」
「いや、もう生きてはおらんだろうな。もう、随分と経ってしもうた」
「じゃあ、街を掘り出すつもり? 住むところがないの」
「そういうわけでもない。娘婿が隣町に居を構えておるから、頼れんわけでもない。たまに様子を見に来おるしな。仲が悪いというんでもない」
「じゃあ……」
 どうして、と言いかけた僕に老人は首を振った。誰もいないところに独り残って、終わらない作業を続ける理由なんて思いつかない。奥さんの死に顔が見れなかったのが気になるのは分かるけど、この分では、どうやっても奥さんのいる所まで辿りつけるとは思えなかった。なぜって、今この瞬間にだって砂は新しく積もり続けている。現状を維持するのさえ難しそうだ。下手に掘り進んだら、自分のほうが砂に埋まってしまう。
「坊。お前にはわからんでいい。お前こそ、こんな寂れた街を通って、何をしに行きおる。家に帰るのか」
「まあ、そんなとこ。帝国には父の言いつけで勉強に来てたんだ」
 嘘だった。僕はフェレーラの生まれだけれど、見た目にはどうしても北の人間にしか見えない。日に焼けてもまだ白い膚に淡い色の髪は、帝国では余所者の徴でしかない。政情が不安定になって実家に呼び戻されたという方が、事実よりよほど本当らしいだろう。僕は帝国では目立ちすぎるのだ。
「こんな所を通ってか」
「優秀な護衛がいるからね、大丈夫だよ。彼、強そうだろ?」
 僕はせいぜい強がってやった。フレイが腕利きなのは確かだけど、本当のところ、二人連れなのはそれで充分だからっていうわけじゃない。目立たないことの方が大事なんだ。
 老人は笑みを見せて、今日は泊まっていくといいと言った。僕とフレイが来るときに見た、あの天幕に住んでいるのだという。僕らは砂と風にまみれて疲れきっていたので、この申し出はありがたかった。とりあえずは砂の中で野宿する必要がなくなっただけでも嬉しい。
 
 
 
 
 
「ねぇ、フレイ」
「なんです、殿下」
 街から離れるにつれ、風はだんだん弱まってきていた。相変わらず砂だらけなのには変わりなかったけれども、少しずつならこうやって会話もできる。この丘を登りきれば、たぶん街道まではそう遠くはない。あの老人が教えてくれたとおりなら、だけど。
 僕らは、結局最後までお互いに名乗らなかった。理由は良く分からなかったけれど、老人は名を聞こうとしなかったし、僕らも彼に聞かなかった。彼はささやかな夕食を供してくれ、僕らは手持ちの保存食を少し彼に分けた。
 最後に彼は、街道に戻る道を教えてくれた。砂に埋もれてしまった街道を辿ってゆく道を。
「……あのひとは、いつまであの街にいるんだろう」
「さあ。ずっといるんじゃないんですか」
 そっけない答えにむっとして僕は言いつのった。「ずっとって、いつまでだよ」
「いつまでも、ですよ。多分あの人、あの場所に骨をうずめるつもりなんじゃないんですか」
「そんな! そんなの……ひどいよ。娘さんだって、娘さんの旦那さんだって隣町にいるんだろう?」
「確かそんなことを言ってましたね。でも、やっぱりあの人は、あの場所でずっと砂を掘って死んでいくんだと思いますよ。砂に消えていく街と一緒に、消えていくつもりなんじゃないんですか」
「でも……」
 言いかけて、僕は口を閉ざした。続ける言葉が見つからなかった。ただ悲しかった。涙は出ないけれど、砂漠に降る雨のように染みとおる悲しさを感じる。
「私たちに出来ることなんて、もうほとんどありませんよ」
 フレイはそっけない口ぶりのまま、風がなくなってきましたね、と外套のフードを撥ね上げて言った。そうして僕の外套の砂埃を払おうとするので、僕はその手を払いのけた。
「いいよ。それぐらい自分でやる」
 ふと見やった下り勾配の先に石畳の色が見えた。たぶんあれが見失ったはずの街道だ。何の変哲もないただの道なのに、ひどく安心した。街道が見えてきましたね、とフレイが言うのが聞こえた。僕達は砂に足を取られながら坂を下った。遠目にも草の緑が見える。もっとちゃんと確認したくて、しぜんに小走りになる。ああ、街道だ。たしかにロンデニウム街道だ。
「忘れなければいいんですよ」
「え……?」
 小さな声に振り返ると、フレイは視線を向けないまま続けた。街道を見定めるように目を眇めている。
「いつか、あの街がすべて砂に埋もれてしまっても、誰もが街のことを語らなくなっても、あの街とあの老人のことを憶えていれば、それで。それぐらいのことしか、出来ることなんてないんですよ」
 そうして急に明るい声を出して、僕に言った。
「そのためにも、まずは生き延びないといけませんね。街道も見えてきたことですし、もう少し行ったら昼食にしましょう」
「……そうだね」
 他に言えることはなかった。僕には結局、あの老人を勝手に何とかすることなんて出来ないし、砂を杖のひと振りでどうにかできるわけでもない。でも、忘れないでいることなら出来る。生きてさえいれば。ずっとずっと生きてさえいれば。
 僕らは再び歩き出した。とりあえずは、昼食に都合のよい日陰を探して。


―了―